【カンボジア】波乱万丈の地雷被害者が語る“自分の価値を高めること”
【アジアレポート/2019年9月_Topic01】
JICA草の根パートナー事業で支援する対象者の一人、地雷被害者のノーン・サヴィさん。
内戦中や地雷事故、その後の人生の話を聞きました。サヴィさんが住むオウ・チョムボック村は、10年前はまだ地雷原が残っており、2013年には自分で撤去しようとした村人の対戦車地雷による悲しい事故もありました。
ただアクセスの悪いこの村にサヴィさんが、住み始めたのは3年前のこと。もともと幹線道路沿いに家があり、数ヘクタールの土地を持っていましたが、この地域の土地はほとんどが地雷原でした。
内戦中は兵士でしたが、地雷の事故に遭うと思ったことは一度もなかったそうです。しかし、その事故に遭った日は、“どこかで地雷を踏むだろう”と思ったそうです。
その予感は的中し、畑で地雷を踏んでしまいました。朝9時ごろ地雷を踏み、バッタンバンにある病院に到着したのは夜になっていました。
地雷を踏んでから病院に到着するまで、ずっと意識はありましたが、病院に着いたことを確認して、コロッと意識を失い、それから次の日の朝まで意識がありませんでした。
【 鶏銀行からの貸し出される5羽の鶏をサヴィさん宅へ運ぶ農業専門家】
地雷事故に遭った後も、サヴィさんは懸命に働き、換金作物の栽培で他の村人たちよりも先に、収入を得ることができるようになりました。幹線道路沿いの村に家を建て、家がない元クメール・ルージュの兵士たちに、無償で自分の家に泊まらせていたので、常にいろんな人が家にいたそうです。
しかし、そうした生活は2016年ごろから一変します。大規模に栽培していた換金作物のキャッサバの値段が下落し、借金を返済できなくなり、どんどん膨らんでいったのです。
実は以前に私たちが事前調査をしたときには、対象者からは外していました。しかし事業が始まる2017年4月。土地や家を手放しても、それでもまだ借金が残り、支援の対象世帯とすることにしました。
【事業1年目から自ら鶏飼育をしていたノーン・サヴィさんが2年目に鶏銀行からの鶏を受け取る様子】
換金作物の栽培に依存した生活から脱却するために考えたこの事業。
3年目を迎えた現在、ノーン・サヴィさんは、1年目に家畜銀行から貸し出しを受けたヤギの飼育に加え、鶏の飼育訓練にも自主的に参加しています。本来であれば2年目に貸し出しを受ける予定だった親鶏。農業の専門家から鶏飼育の方法を聞き、1年目から自身で飼育を開始しました。
更には、同時にアヒルの飼育、ハリナシミツバチの養蜂、そして東洋ミツバチの養蜂までしています。ため池もあり、魚も養殖しながら、様々な野菜や果物を栽培。
借金さえなければ、食物の自給で支出を減らし、多様な収入源で豊かな生活を送っていくことができるようになっています。
私自身が、話を聞く前は、これほどまで浮き沈みの激しい人生だと想像していませんでした。しかし、何よりも地雷事故や多額の借金などの大きな問題がありながら、それを乗り越えようと懸命に努力し、また自分だけでなく周囲の人たちを助けてきたサヴィさんのバイタリティに感心しました。
サヴィさんは、「自分の価値を上げるために生きているんだよ」と教えてくれました。自分の価値を上げるためには、「自分だけ良ければいいわけではなく、他の人を助けることによって、自分の価値が上がる」と言います。借金の返済を終え、他の障がい者の世帯のモデルにもなってほしいと思います。
記事執筆/
アジア事業部
江角 泰