【冬季募金2019キャンペーン企画】【カンボジアでの歩み】
現在、日本を含めたアジア・アフリカ6ヶ国で活動を行うテラ・ルネッサンス。私たちの海外事業はカンボジアから始まりました。
今回は、2001年に始まったカンボジア事業の沿革を、当会理事でありカンボジア事務所長である江角泰の過去のインタビュー記事を交えながら辿ります。
2001年
【初めて訪れたカンボジアで紛争の歴史と地雷問題に触れた鬼丸帰国後、
テラ・ルネッサンス(任意団体)設立講演活動とともに、
カンボジアで地雷撤去支援事業を開始】
...「戦争」と聞くと、なんだ昔の話のようにいつも感じていた。しかし初めて訪れたカンボジアで、戦争はリアリティをもって、僕の心の中に入ってきた。そして、ポルポト政権が1979年まで続いていたことに驚いた。
1979年、それは僕が生まれた年。ポルポト政権の圧政、大虐殺という出来事が、歴史の教科書でしか知ることのできないような「過去」のことではなく、僕が生まれた同じ時代に行われたということ。つまり、同じ時代に生きて、同じ時代の空気を吸っている人が虐殺をしたり、されたりしていたことに衝撃を受けた。
このような長い内戦が美しいカンボジアの自然や人々の心に残した傷跡、地雷被害の悲惨さなどが、走馬灯のように頭の中をめぐっていた。そんな現状を見て、感じて、聞いて、じゃあ「自分には何ができるのだろう?」そして、ある決心をした。
僕の見たまま、ありのままの事実を伝えよう。... (当会創設者 鬼丸昌也談)
2005年
【テラ・ルネッサンスがNPO法人格を取得】
【除隊兵士の生活再建事業を開始(NPO法人インターバンドとの協働事業)】
【バッタンバン州へスタッフを派遣】
… 当時はとにかく道が悪かった。首都のプノンペンから活動地域のバッタンバンに行く途中の橋が工事中で、トラックやバスが立ち往生することもしばしばでした。
道路がよいと簡単に攻め入られてしまう。そこで、道路に地雷がたくさん埋められてしまったんです。だから、紛争後、道路を整備するにもまず地雷の撤去から。そこで、地雷撤去をするんですが、初めは一番主要な幹線道路道路からということになります。そういう理由があって、道路の整備が遅れていましたし、撤去後もなかなか舗装されなかったんです。
カンボジアは雨期になると土が柔らかいので、車がすぐにぬかるみにはまった呼称してしまったりします。僕たちの車も2〜3台壊れて、売りに出してしまいました。…
2006年
【バッタンバン州にカンボジア事務所を開設】
…(活動地は)かなり僻地にあるんですが、ゴミがすごく散乱しています。そこで、カンボジアの事務所では毎朝掃除をしていたんですが、事務所の中だけでなく、事務所の前の通りに落ちているゴミをまず拾おうというので始めたんです。
最初はゴミがいっぱいあって、一時間拾ってもまだまだいっぱいで、きりがないような状況だったのが、しばらく続けるうちに、量も少なくなって、短時間で拾えるくらいになった。その後、自分たちが小学校を建てたところと、村落開発支援をやっている村の小学校のところにいた子どもたちとゴミ拾いをやったんです。
子どもは純粋で、大人たちがゴミを拾っているのを見たら真似をする。したがって、子どもたちもゴミを拾うという感じで、小学校の方はきれいになったんです。自分たちが最初に変わらないと、(相手を)変えることはできないということが、すごくよく分かる事例でした。…
2008年
【駐在スタッフを派遣】
【「カンボジア地雷埋設地域村落開発事業」「小学校建設事業」を開始】
… 元々、地雷除去の支援から始めたのですが、それだけでは現地のニーズを満たせないことがわかり、地雷被害者を減らすための取り組みを始めるようになりました。つまり、地雷があることを知っていても、地雷原に入って、そこで被害にあってしまう人がいたのです。
換金作物を栽培するために、貧しい人たちは、命を落とすリスクを負いながら、地雷原に入って耕作していました。ですので、まずは住民たちが被害にあわないために、地雷埋設地域での村落開発に力を入れてきました。
(現地で得たのは)対象地域の人々の自立と自治を促進していくことが最も大切だという学びです。地雷被害者や貧困層に対して対処療法的な支援ではなくて、自立するまできめ細かく支援すること、そして、コミュニティの人々が自分の頭で考えて、自らが抱える課
題に取り組めるような環境を作っていくということが、いかに大事だったかということです。…
2009年
【事務所として初めて、地雷被害者の女性2名を職員として雇用】
… 2009年に初めて女性の地雷被害者2名を職員として雇用したのですが、2人とも小学校も卒業しておらず、当初は、本当に正しい選択だったのかと悩んだこともありました。しかし、それぞれにできる役割をスタッフ全員で考えていき、今では2人とも重要な役割を果たしてくれています。
ラウという女性職員には、村で洋裁技術を教えるという仕事を担ってもらっています。彼女は指導経験が無く、この仕事を担ってほしいと話した時は不安そうでした。
しかし、それ以降、彼女は、休みの日も自発的に洋裁技術のスキルアップに努めて、指導経験のある人から、「どうしたら良い技術指導ができるのか?」と聞いて回るようになりました。そして、今では彼女から技術を習得した地雷被害者たちが自分で収入を得られるようになっています。
ラウ自身が地雷被害者でありながら、自らの努力で自立してきた経験を持っているので、そんな彼女からの指導を受ける人たちには、自分にもできるという気持ちが芽生えるのかもしれません。…
2010年
【「地雷回避教育プロジェクト」「地雷埋設地域伝統音楽復興&継承プロジェクト」を開始】
… (モチベーションが下がることは?)もちろんあります。予定や計画がうまく進まなかったとき。例えば、村の人たちと会う約束をしていたのに、行ったら誰もいない。これはまだいい方。
テラ・ルネッサンスの活動を誤解されて、変な噂を流されることもあります。これはやっぱり残念な気持ちになりますね。(そんな時は)自分たちのやることを淡々ときっちりやることが大切だと思っています。
きちんと約束を守ったり、活動をきちんと続けるということの積み重ねが村の人たちの信頼を得ることにつながると思います。これまで三つの村でやってきて、最初は村長さんたちも自分たちのことを疑っていることもあったけど、信頼の積み重ねによって今はすごくいい関係を築いています。小さいことの積み重ねは大事だと思います。…
2011年
【外務省「日本NGO連携無償資金協力」により「地雷埋設地域小学校建設プロジェクト」を開始】
… 苦労はたくさんあります。例えば小学校の建設を取り上げても、学校を建てたらそれで終わりかというと、そうではありません。学校があっても、授業がされていなかったり、子どもたちがなかなか学校に来られなかったりということがあります。
そこで、村の状況に応じて、その後のフォローを行っています。ある村では、先生たちの給料が安くて生活できないので、先生たちの宿舎を建てたり、あるいは、子どもたちが学校になかなか来られないというので、村の貧困層の人たちに対して、裁縫の技術訓練や養豚などの収入向上支援を行ったりしています。…
2014年
【テラ・ルネッサンスが認定NPO法人となる】
… (やりがいを感じるときは?)一つは支援を受けた人がすごくいい笑顔を見せてくれたときです。
すごく過酷な状況の中でそういう笑顔がなかった人たちが自分たちの支援を受けて変わっていく姿を見ることは、すごく嬉しくてやりがいがあります。もう一つは、村の人たちが自分たちで何かをしようとするところを見せてくれたとき。
逆にうまくいかないときでも、意外にやりがいを感じながら進めています。テラ・ルネッサンスは、道が悪かったり、遠隔地だったり、あえて難しいところ、支援の届き難い人たちを対象にしているので、難しいからこそやりがいも感じます。 …
2019年現在
【カンボジア事務所では10名のスタッフが働く】
… 支援を受ける人たちのオーナーシップを高めていくことが、事業の成長には欠かせなかったと思います。テラ・ルネッサンスは、参加型の村落開発、つまり村の人たちが自分たちで村を良くしていくことをサポートするという姿勢を大事にしています。
カンボジアはたくさんの国から支援を受けてきたために、村の人たちは援助を待っていることが多かった。そこをなんとか変えようと考え、村長など、村のリーダーと粘り強く村の将来のことを話す機会を設けました。その結果、少しずつ彼らも自分たちの村の将来のことを自分たちで描くようになってきたと思います。…
これまでに私たちは、カンボジアで
地雷撤去支援プロジェクトを通して
東京ドーム12個分にあたる561,092㎡の土地を安全にし、
3,123世帯、12,870人に安全な土地を
村落開発支援プロジェクトを通して
約400世帯に、自立した生活ができるようサポートを
教育支援プロジェクトを通して
約650人の子どもたちに教育を
届けてきました。
こうした一つ一つの成果が、テラ・ルネッサンスの理念に共感し、支援を続けてくださった皆様あってのものです。
そして私たちはこれからも、現地の人々を“想う”ことを続けながら、「自立」と「自治」のための支援を続けていきたいと考えています。
現在、テラ・ルネッサンスは冬季キャンペーンとして、資金を募っています。
皆様のご参加を心よりお願い申し上げます。